四国遍路を歩いてみたい人へ(はじめに)
「四国遍路」「四国巡礼」「四国八十八箇所」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
弘法大師・空海が修行した四国八十八箇所を巡礼することである。徳島県の一番札所・霊山寺から始まり、高知県、愛媛県を経て香川県の八十八番札所・大窪寺に至る、およそ1400キロの巡礼である。
本来は一度で巡るのが理想とされるが、当時の私は学生で時間もお金もない。そこで、時間のあるときに少しずつ回ろうと考えた。
私はふるさと秋田を離れ、愛媛・松山に進学していた。下宿先の前の道が遍路道であり、白衣姿の「お遍路さん」を見かける機会が多かった。そのうちに、この四国遍路をやってみたいという気持ちが強くなっていった。
霊場寺院のことを札所(ふだしょ)という。通常は一番札所である霊山寺から始めるのが一般的であるが、江戸時代には住んでいる場所に近い札所から巡ることも多かったという。
先例にならい、私が遍路のスタート地点に選んだのは、愛媛県松山市と上浮穴郡久万高原町の境にある三坂峠であった。
当時はただ歩くことに夢中だったが、今振り返ると、この一歩がその後の巡礼や街道歩きにつながっているように思う。
「歩くことで見えてくるものがある」という感覚は、この時すでに始まっていたのかもしれない。
にわか遍路とは
「俄(にわか)」とは、
・物事が急に起こるさま。突然。
・一時的であるさま。かりそめであるさま。
(『大辞泉』より)
本記事でいう「にわか四国遍路」とは、信仰心の有無にかかわらず、思い立ったときに日帰りで歩く遍路のことである。
白衣や菅笠といった正式な装束は用いず、普段着のまま歩く。札所の順番にも厳密にはこだわらず、その時々の地の利に従って歩く。
いわば、伝統的な遍路の形式にとらわれず、「歩くこと」を軸に巡礼を捉え直したスタイルである。
ただし、全行程徒歩だけは自らに課した唯一のルールである。
三坂峠

↑三坂峠(愛媛県久万高原町三坂)
職場の上司の車に乗せてもらい、三坂峠に着いたのが2009年(平成21年)2月8日7時07分のことであった。
三坂峠は標高720メートル。松山と高知を結ぶ国道33号線(久万街道)最大の難所である。私はこの峠が大好きである。特に理由はないが、ここを遍路旅の出発点とした。次に三坂へ戻ってくるのはいつになるのだろうか。
徒歩で三坂峠を下る。車道ではなく、久谷へ抜ける峠道を選ぶ。細い杉林の道を颯爽と進む。

↑峠を下る

↑朝霞

↑鍋割坂
旅人が鍋を割るほど険しいとされた難所、鍋割坂。標柱には「仰西翁偉績」とある。仰西(山之内彦左衛門)は江戸時代前期の人物で、私財を投じて仰西渠を築き、久万盆地に農業用水を引いたとされる。この鍋割坂も彼の手によるものだろうか。
「三坂越えれば吹雪がかかり、戻りや妻子が泣きかかる」
そう詠われるほど、三坂峠は久万街道最大の難所であった。

↑早春の棚田と三坂峠
坂本屋

↑坂本屋(愛媛県松山市桜)
7時49分、坂本屋に到着。三坂を下りて最初の民家である。江戸時代には遍路宿として賑わったが、国道33号線の開通により廃屋となった。しかし現在は地元の人々によって修復され、遍路の交流拠点となっている。ここでお手洗いをお借りした。

↑梅が咲いている

↑網掛けの石
弘法大師が道路工事を手伝い、巨大な石を担いで運んだという伝承が残る。その石に網目が残っていたことから「網掛け石」と呼ばれる。
道中、トレッキングの人と出会う。追い抜かれたが、急ぐ旅でもない。分岐で地元の人に「下の道がお大師様の通られた道じゃ」と教えられ、その道を進むことにした。
浄瑠璃寺〜八坂寺

★第四十六番札所・医王山浄瑠璃寺(愛媛県松山市浄瑠璃町)
8時50分、浄瑠璃寺に到着。私にとってはここが一番札所である。納経帳を購入し、納経していただいた。たいへん親切にしていただいた。境内の椰子の木が南国らしい。

★第四十七番札所・熊野山八坂寺(愛媛県松山市浄瑠璃町)
10分ほど歩くと八坂寺である。ここで遍路らしき人とすれ違ったが、挨拶ができなかった。後悔が残る。

八坂寺を後にすると、「えばら湖」と呼ばれる農業用溜池が見えてくる。

↑まっすぐな道(愛媛県松山市恵原町・諏訪神社前)
諏訪神社に参拝し、遍路道から県道194号線を北へ向かう。途中、別格霊場・文殊院に立ち寄る。
衛門三郎について
四国遍路を語る上で欠かせない人物がいる。衛門三郎である。
伊予国浮穴郡荏原荘の豪農であったとされる。欲深い人物であったが、托鉢に来た僧(弘法大師)を追い払ったことで子を失い、懺悔のために遍路に出る。二十回巡っても会えず、最後に焼山寺付近で倒れ、臨終の際に救われたとされる。

★衛門三郎旅立ちの様子(愛媛県松山市恵原町・文殊院境内)
文殊院は衛門三郎の屋敷跡と伝えられる。ここで先ほど挨拶できなかったお遍路さんと再会し、挨拶を交わすことができた。このお遍路さんはSさんといい、同行することになった。
後に知るが、この方は73歳。そして私と同じ名前、しかも漢字まで同じであった。これには驚いた。
縁とは不思議なものである。
Sさんが八塚を見たいというので同行する。

↑八塚群集墳(愛媛県松山市西野町)
最初は一つと思ったが、実際には八つ存在するという。
道中、Sさんと様々な話をした。三角点設置の仕事で日本各地を巡ってきた方であった。20歳の自分と70歳の先達。不思議な時間であった。

↑右松山道と書かれた道標(愛媛県松山市恵原町)

★番外霊場・札始大師堂(愛媛県松山市上川原町)
10時40分到着。ここは弘法大師が泊まったとされ、衛門三郎が遍路を始めた場所である。
Sさんは、近くでじゃがいもを植えているご夫妻に声をかけた。このご夫妻が札始大師堂を守っておられるとのことである。このあたりは、昔はバスも入れないとこであったが、松山市に頼んで道幅を広げてもらったそうだ。
「付近には遍路の途中で倒れられた無縁仏の墓があります。」
遍路途中で倒れた墓が点在しているとのこと。
重信川にかかる久谷大橋を越えると南高井町である。ここには、うどん屋「瓢月」がある。ここでお昼ご飯にした。

↑瓢月のかけうどん
本当にありがたいことに、なんとSさんにお接待していただいた。店を出るとちょうど愛媛マラソンであった。先頭集団がやってきて道がふさがれてしまったのでしばし一服。西林寺に着いたのが12時34分であった。
西林寺〜浄土寺

★第四十八番札所・清滝山西林寺仁王門(愛媛県松山市高井町)
付近には弘法大師が杖で水を出したと云われる杖の淵があるが、今回は寄ることができなかった。さらに北に向かい久米の街中を歩く。13時44分、浄土寺に到着した。

★第四十九番札所・西林山浄土寺太子堂(愛媛県松山市鷹子町)
浄土寺は三度目の来訪である。ここには念仏を世に広めた空也上人の像がある。我々が日本史の教科書で見る空也上人像は六波羅蜜寺のものだが、空也像は六波羅蜜寺と浄土寺の二つしかないという。
繁多寺〜石手寺

★第五十番札所・東山繁多寺(愛媛県松山市畑寺町)
繁多寺も三度目の来訪である。このお寺さんからは松山市中心部を一望できる。ここで一服を取り今日の終着地、石手寺へと歩む準備をする。

↑松山を見る

↑石手川にかかる遍路橋(愛媛県松山市石手)
遍路橋を越えると石手寺である。

↑石手寺門前
石手寺は、衛門三郎再来伝説に由来すると言われる。当地を治めていた河野息利に男子が生まれたが右の手が開かなかったのでこのお寺に願をかけたところ、手の中から「衛門三郎再来」と書かれた石が出てきたそうである。この石は、当寺に安置されているという。

★第五十一番札所・熊野山石手寺大師堂(愛媛県松山市石手)
ここでSさんと別れた。一期一会とはこのことである。日も暮れてきたので家路へと道を急いだ。

↑道後温泉(愛媛県松山市道後)
家に着いたのが17時30分。疲れをゆっくり取った。
まとめ
この日の一歩は、ただの遍路の始まりではなかった。
人と出会い、道を選び、歴史の中を歩く——
その感覚は、この日すでに始まっていた。
いま振り返れば、この三坂峠こそが、すべての原点である。
●本日の歩行距離・・・23キロ